1949年香川県生まれ。
早稲田大学文学部卒。同大学院博士課程中退。
1986年「スサノオ自伝」
1990年「青春デンデケデケデケ」文藝賞受賞
1991年同作品で直木賞受賞
1993年「松ヶ枝町サーガ」
1995年「ルフラン」
1995年「私家版 青春デンデケデケデケ」
1995年「芦原すなおのビートルズ巡礼」
1996年「東京シック・ブルース」
1998年「嫁洗い池」
1999年「月夜の晩に火事がいて」
2000年「オカメインコに雨坊主」
2007年「海辺の博覧会」 
2008年「野に咲け、あざみ」
その他、多数の著作。

ビートルズから学んだ独特のユーモアセンスと
永遠のアマチュア精神

文藝賞、直木賞をダブル受賞

直木賞受賞作「青春デンデケデケデケ」を発表されたのは1991年でしたか。

そうですね。ただしその前年秋に文藝賞受賞作として河出書房新社の雑誌「文藝」に発表していますから、正確には1990年です。

「青春デンデケデケデケ」の時代設定は1965年から68年までの3年間ですよね。ということは、25年くらい前のことについて書いたということになりますが。

僕は常に作品は自分のために書くことをモットーにしています。デビュー作の「スサノオ自伝」を書いた後、しばらく何も浮かんでこなかったのですが、その後、もう一度、ようやく長いものを書く気になって、どうせなら、自分が一番好きなもの、つまりロック・ミュージックをテーマにした小説を書こうと思い立ちました。65年から68年というのは僕の高校時代に当たります。このストレートで感受性の固まりのような時代に一番好きだったものが、ビートルズでありベンチャーズだったのです。逆説的に言えば、大人になればなるほど音楽に関する知識も情報も多いはずですが、あえて、純粋に音楽に向き合って愛おしくも狂おしい四半世紀前の高校時代にスポットを当てて、物語を書こうと考えたわけです。

こういったテーマで書くにしては、ご出身の香川県は多少ハンデがあったと思われますが。

確かに、新しい音楽を聴く環境としては、東京に比べて格差があったことは事実です。65年当時の僕が住んでいた町のラジオ事情は、NHK1局、民放1局といったところで、ほとんど選択の余地がありませんでした。NHKの石田豊さんのDJ番組とか、西日本放送ラジオの小島正雄さんの「9500万人のポピュラーリクエスト」とかの音楽番組をラジオにかじりついて聴きました。FM放送も始まっていましたが、受信できるラジオを持っていませんでした。

そんな恵まれない環境が逆に幸いしたということもありますか。田舎を舞台にしたことが独特の味付けをしているように感じますが。

出身地である香川県観音寺(かんおんじ)という地方都市を舞台にしたことは間違いではなかったと思います。東京に比べて、適度な距離感があり、讃岐弁をふんだんに使うことで作品に潤いを与えることができたと思います。

この作品は、当時としては非常に珍しい、斜に構えたところも、奇をてらうこともない正攻法の青春小説ですが。

そうですね。当時も今もそうですが、ほとんどの青春小説、特にロックを題材にした青春小説は必ずといっていいほど、どこかしら暗い影が差しています。主人公が不良だったり落ちこぼれだったり、何かしら屈折していて、でも純なハートを持っているというのがステロタイプでした。その方が、青春小説としては確かにかっこいいのはわかりきっていたのですが、あえてそうしなかった。というのは、僕はいわゆる普通の少年が好きでした。屈折感も閉塞感もないけれど、純粋にロックが好きな普通の少年を主人公にした、強いていえば、かっこ悪い青春小説を書いてみたかったのです。

「青春デンデケデケデケ」にはビートルズも登場しますが、何と言ってもベンチャーズですね

確かに1965年、66年当時はベンチャーズから受けた衝撃の方が大きかった。ご存知かとも思いますが、タイトルの「デンデケデケデケ」はベンチャーズの代表曲「パイプライン」のイントロから取ったものです。あの曲にインスパイアされて、この小説を書いたわけですから、もしもベンチャーズがなかったら「青春デンデケデケデケ」もなかったかもしれません。

ベンチャーズは今でも健在ですが。

ちょうど今、日本公演中ですね。日本の夏の風物詩といったところでしょうか。先月、結成50周年ライブを聴きに行ってきました。もう何回行ったか忘れました。30回くらいですかね。オリジナル・メンバーがドン・ウイルソン一人になってしまったのは、ちょっと寂しいですが。

主人公のちっくんは、ご自身ですか。

いえ、当時僕はバンドを組んでいませんでしたので、僕自身ではありません。学校の友達のバンドがモデルです。つまり、小説のなかで追体験をしてみようと思いました。ですから、ちっくんは僕の心理的分身といったところで、とても近い存在です。

作品発表から20年近くたった今、あらためて振り返ってみるといかがですか。

そうですね。25年前の出来事を大人になってから書いたということ、そして、その頃流行していた音楽を、都会ではなく香川の観音寺という当時人口4万5千人くらいの小さな田舎町を舞台にしたこと、この時間的・空間的な二つの要素が、作品に客観性を持たせたのは良かったと思っています。25年の歳月、どこにでもあるような地方の田舎町という設定は、作者つまり僕と作品に適度な距離感をもたらし、冷静に筆を進めることができました。特に、後者つまり、舞台設定を地方の田舎町にしたのは、都会では失われたコミュニティ、つまり大人と子供が有機的にふれあうことのできる、本来、町が持っていた空間を書くことができたように思います。

全編を通して、暖かみやユーモアがとても強く感じられましたが。

何と言っても、主人公の少年を25年後の本人の目で描く、という小説の構造が良かったのかもしれませんね。この構造のお陰で、過去の自分を、冷静に、客観的に、同時に、暖かい目で、見ることができた。滑稽な、いじらしい部分もちゃんと含めてね。方言の力も大きいでしょう。そういう要素があいまって、全体に暖かみやユーモラスな雰囲気を漂わせることができたのかもしれません。

大林宣彦監督の映画からもその雰囲気が伝わってきましたね。

本当にそう思います。あの映画は単に原作に忠実だというだけでなく、映画全体に小説と共通する独特の空気感があふれていました。

4年後に「私家版」を発表

そして、直木賞受賞作の4年後、「私家版 青春デンデケデケデケ」が刊行されましたが、これはどういう経緯ですか。

実は、作品的には「私家版」の方が早かったのです。デビュー作の「スサノオ自伝」は持込み原稿が運良く集英社に採用され出版されましたが、その後2年ぐらいかけて書き上げた「青春デンデケデケデケ」を、今度は何かの文学賞に応募してみようという気になって、「公募ガイド」を購入していろいろ研究しました。そこで、河出書房新社の文藝賞に応募しようと決めたわけです。でも、いざ、応募する段になって、枚数制限があることに気づいたのです。そこで、400字詰め原稿用紙783枚を、半年ぐらいかけて規定の400枚に縮めました。この作業はなかなか難しかった、本筋を変えないで、なおかつ、話の辻褄を合わせて縮めていくわけですから、なかなか容易ではなかった。でも、結果的にすっきりとまとまり、いい仕上がりになりました。そして、受賞することができたわけですから、これで良かったのでしょう。でも、オリジナルの長編の方にも愛着がありました。せっかく書いたものがこのまま陽の目を見ないのも何とも忍びないと思い、作品社の編集者に話を持ちかけ、「私家版 青春デンデケデケデケ」として日の目を見ることができました。

両者を比較するといかがですか。

どちらにも思い入れがあります。正規版の方は、二つの賞をいただいたわけですから、何も言うことはありませんし、私家版の方も、心を込めて書いたわけですから、自分なりに気に入ってます。

私家版には、巻末に本文中に登場した全ての曲名の索引が添えられていますね。これは何かを調べる際に、非常に便利ですが。

小説に索引がついているというのは、とても珍しいですね。編集担当者は大変だったと思いますが、おかげさまでユニークな本になりました。

そして、その1年後の1996年、「東京シック・ブルース」が刊行されました。この作品を、「青春デンデケデケデケ」の続編と位置づけている人もいるようですが。

確かに、時系列的には主人公の大学時代を書いていますから、そういった捉え方もできないこともないと思いますが、僕自身としては、精神的に全く違いますね。「東京シック・ブルース」の方は、むしろ、トーマス・マンとかD・H・ロレンスとか、自分がそれまでに学んできた、欧米の文学的手法を凝縮させたものと捉えています。トーマス・マンからは「対象と自分」という微妙な距離感と独特のアイロニー、そして、ロレンスからは「生きる」とはどういうものかという確固とした生命観を学びました。

この作品の主人公は早稲田大学の学生ですが、芦原さんもご出身は早稲田大学ですね。在学中、村上春樹さんとはクラスメートだったとか。

そうですね。でも彼はアルバイトばかりしてあまり大学には来ませんでしたが(笑)。

独特の空気感と脇役の存在感

その後もコンスタントに作品を出し続けていますが、2000年に出版された「オカメインコに雨坊主」という作品が、私はとても好きです。何ともゆったりとした幻想的な世界が目の前に広がっていきます。

この作品で一番いいたかったのは、「この世界には奥行きがある」ということです。よく、勝ち組とか負け組とかいいますが、この世の中はそんなに単純に色分けできるものではありません。目に見えるものはほんの一部です。目に見えないもののなかにも、たくさんの価値があります。そういった表面的なものではない、心の奥にある世界を書きたかった。物事を立体的な眺めることによって、そういったことも可能になってくるのではないでしょうか。例えば、今では亡くなった人であっても、生前、親交の深かった人であるならば、いつまでも心のなかで生きています。これは、決して気休めではありません。このように、この世界は理性では割り切れない部分も少なからずあるのです。そういった、世の中の不可思議さを書いてみたかったのです。

そして2007年に出された「海辺の博覧会」も印象的でした。これは幼少期の実体験に基づくものですか。

そうです。誰でも子供の頃、自分の町でお祭りなんかが始まるのを心待ちにしていた経験があると思います。とりわけ、ちょっと怪しい雰囲気を持った見せ物小屋に、興味をそそられたりしたものです。

この作品でも、登場人物それぞれのキャラクターがとても良く出ていますね。芦原さんの作品はどれもそうですが、主人公もさることながら脇役に光る存在の人物が必ず登場します。「海辺の博覧会」のしきり屋の女の子といい、「オカメインコに雨坊主」の村で出会ったチサノちゃんといい……。

物語の流れを形作るのに必要なキャラクターということで、脇役の一人に作者の意図を代弁してもらうという手法は、確かに意識しています。「青春デンデケデケデケ」の合田富士男君なんかもその一人ですね。そして、彼のように書き進めていくうちにいいキャラクターに育っていくと、作者もうれしいものですね。

ビートルズからの大きな影響

芦原さんは執筆活動の合間に演奏活動もしているようですが、どんなバランスですか。

演奏活動は、ちょうどいい息抜きになっていますね。何と言ってもバンドは楽しいですし。地元と東京で活動していますので、スケジュールが重なるとちょっと大変ですが(笑)。

村上龍さんと村上春樹さんの「ウォーク・ドント・ラン」という対談集のなかに、「音楽はいいな、みんなでできるから……それに比べて、小説は一人でしかできない……」という一節がありますが。

それはそう、確かにそうです。小説は本当に孤独な作業です。というより、孤独にならないと書けないのです。それに対して、音楽は大きな流れのなかの一部分になるという楽しさがあります。

音楽からの影響ということでは、先ほどのベンチャーズはもちろんのこと、芦原作品に欠かせないユーモア精神などは、ビートルズからのものも少なからず見受けられると思われますが。

ビートルズの歌詞には素晴らしいユーモアが溢れています。例えば、ポール・マッカートニーが作った「ペニー・レイン」などの曲は、見事な情景が浮かんできます。それはまるで、愉快で楽しい映画のなかの1シーンを目の前で彷彿させるようなすごい描写力です。よく、ジョン・レノンの歌詞の素晴らしさが取り上げられますが、別の意味で、ポールのセンスの良さも並大抵ではありません。あと、歌詞のみならずビートルズ音楽の偉大さは、次のような点にあると思います。彼らはロックンロールをはじめとして、過去の音楽からいろいろなものを学んでいるのですが、それらを完璧に自分達のものとして吸収し、そこに自分達独自の味付けをごく自然に散りばめていったのです。言い換えれば、ビートルズは良い意味で「永遠のアマチュア」でした。一般に、音楽を一生懸命学んである程度知識も増えてくると、出来合いの曲作り、つまり、ありがちなコード進行、通俗的なメロディ、機械的なソングライティングといった型にはまった、ある意味でプロフェッショナルな仕事に陥りがちなのですが、彼らはしっかり学んだにもかかわらず、枠にはまらずに、「何だこのメロディは」みたいなびっくりするようなフレーズが平気で出てくるのです。まるで素人が作ったような。偉大なアマチュアと言わしめる所以はそこにあります。その精神がビートルズの音楽を生き生きとさせているのだと思います。実は、僕の書く文学についてももそうありたいと思っているのです。文章を書き始めた頃に比べて、今では文学についての知識はいっぱい増えましたけれども、そういったものを自分なりに吸収した上で、そういうものに捉われるのでなく、全くの素人のように書いていきたいと思っています。これは、まぎれもなくビートルズから学んだ方法論であり、とても力強く感じました。こんなことをしてはまずいかな、こんなことを書くとらしくないかななどという発想を持たないで、自然に浮かんできたのならそれでいいのだという自由な発想方法を彼らから学びました。

日本人作家では何と言っても夏目漱石

最後に、日本人で影響を受けた作家はだれですか。

何と言っても夏目漱石ですね。

それはどのような点で。

やはり、漱石のユーモアセンスに惹かれました。「我が輩は猫である」は本当に感銘を受けました。それと同時に、漱石がユーモアを捨てて書いた中期・後期の作品にも凄く惹かれます。「三四郎」くらいまでは、まだ若干ユーモアが感じられるのですが、「それから」で徐々になくなり、「門」でついにユーモアがゼロになるわけです。ところが、それに伴って、文章の張りというか、テンションというか、凄みが増してきます。漱石の素晴らしさは何と言っても文章のリズムとキレで、これは他の追随を許さないでしょう。漱石の投げるボールは真っ向勝負のストレートボールです、それも滅法キレがいい。そして、「明暗」という最後の作品で、再び余裕を持ってユーモア的な方向に戻るのかと思ったのですが、結局、未完で終わってしまいましたね。それにしても、「門」とか「行人」とかの全編陰鬱な雰囲気が漂うこのあたりの作品は、今でも大好きです。僕は勝手に漱石を「お師匠さん」と呼んでいます(笑)。

長い時間ありがとうございました。

(聞き手:鈴木佳行(エディター) 2009年8月2日収録/2009年8月28日公開)