 |
|
 |
畑島 喜久生(はたじま きくお)
1930年長崎県生まれ。長崎師範学校、國學院大学文学部卒業。
東京都公立学校長を定年退職後、白百合女子大学・東京学芸大学・山梨大学等の講師東京保育専門学校長・理事を経て、現在現代少年詩の会代表(「少年詩の学校」主宰)理事職学監。二十年余、小学校国語教科書(学校図書)の編集に携わる。日本児童文学者協会会員、日本児童文学学会会員。
《主な教育関係書》
『学校経営小事典』(教頭篇1987年・校長篇1989年・主任篇1994年、国土社)/『授業〓ナガサキ「平和への祈りの授業」』(1990年、国土社)/『いま、教師であること』(1991年、国土社)/『「いじめ」「不登校」という教育のひずみ』(1997年、高文堂出版社)/『父よ!母よ!子どもたちよ!―酒鬼薔薇聖斗事件の衝撃から』(1998年、リトル・ガリヴァー社)/『弥吉菅一と児童詩教育』(2001年、リトル・ガリヴァー社)/『保育の心を求めて』(2003年、リトル・ガリヴァー社))/『学校が変わる 学生が変化する―理想の保育者像を追い求めつづけて』(2005年、すずさわ書店)/『霜山徳爾の世界』(2006年、学樹書院)『あたりまえのことをあたりまえに教える教育学』(2006年、てらいんく)他、『保育の心を求めて』U(2007年、トリル・ガリヴァー社)その他の関係書多数。
|
|
|
|
 |
畑島喜久生先生の著作は相当の数になりますが、全部でどれくらいになるのでしょう。
リトル・ガリヴァー社から5月に出した「いま日本の教育を考えるU」が、81冊目の本になります。
内訳・児童詩教育関係書・児童文学(少年詩)・教育・児童書
教育の問題としてきっかけになった「父よ!母よ!子どもたちよ!」(98.10月)をまとめられるようになって、にわかに教育現場にきなくさいというか、少年による凶悪犯罪が多発するようになりました。
ここでの原因は、著作にも示されていますが、子どもを取り囲む教育環境の変化ととらえて良いのでしょうか。
敗戦による価値観の転倒をベースにしての、社会構造の変化、それに伴う教育自体の変化だと思います。そこでの、混迷・混乱の63年間の積み重なりの結果です。
「個」の強調のあまり、「公」が忘れ去られた。
なお、行政がそれに気づいていない。教育再生会議がそのいい例です。現場をとめどなく混乱に陥れている。中教審の「自分探し」の提言も全くナンセンスです。
これに対する教師、教育委員会、さらに文科省へとつながる指揮・監督する日本の教育体制は、どうなっていくのでしょう。どうすれば、問題克服へとつながる組織に改善されるのでしょうか。
大分県・教委の不正事件は、氷山の一角だと思います。そしてそれは、文科省の国立大学建設贈賄事件と一蓮托生。東京足立区の学力テストの不正、また方々でのいじめ虚偽報告と、文科省→教委→現場の管理職と、教育界の上層部には、正義・公共性の信義が欠けている。
そして、はびこっているのは教師たちへの締め付けばかりです。
先生は長く教師をされ、いわゆる教育現場から見た子どもたちの「歴史」をよくご存じです。
「いま」の子どもと昔の子どもの決定的な違いはどこにありますか。
子どもたちは、本質的には変わっていません。(遺伝子はそんなにたやすくは変化しませんから。)ですから、昔の子どもと、今の子どもとの違いは現象的な変化です。
・昔は全てにわたって自然性的であった。そこでのバランスが、自働的に保たれていた。
・今は、豊かなモノ社会の中で、親子ともどもに消費者感覚化し、他によってコントロールされるという強制機能のないところで自律―自制を失ってしまっている。それにおとなたちが気づいていない。自分も同じ穴のむじなだから。
先生の著作に見られる傾向の中で、途中、科学的メスを入れて、脳生理学など、人間の機能そのものから論を展開されるようになりました。このきっかけというか、意図するところは。
わたしの専門は、文学(詩)、児童文学(少年詩)と、教育です。そしてこれらの分野は、どちらかというと観念論的です。いってみれば仮説の世界。が、脳科学、遺伝子学、生命科学に取り組んでみると、それが科学的に立証されていく。そこが魅力で、いまは病みつきになってしまっています。19世紀末葉から、これは大きな変革現象として、いまわたしたちのまえに立ち表れていると思います。
最後に、これから先生がテーマとされるもの、手がけられるテーマというものはどんなものがありますか。
「いま日本の教育を考える」のシリーズを書き続けていく。
ひとつは「現代少年詩の会」の代表、「少年詩の学校」の主者として、子どもたちの詩的感性の養いのために力を尽くしていきたい。
|