山田 博泰(やまだ ひろやす)
昭和15年11月11日生まれ。中央佛教学院、龍谷大学卒業後、大阪府公立小学校に奉職。その後、北九州の寺院に入山し修行。
昭和57年 42歳で西栄寺設立。以後四年間長屋にて布教活動を行う。
平成18年 大阪市西淀川区御幣島に大阪本坊建立。
著書に「曲がり道の人生」「アフリカ紀行」等。


お坊さんの「辻説法」というと、少し固苦しくなりますので、今回は、柔らかく、分かりやすくにつとめられたとお伺いしておりますが、そのねらいどおりにまとまったと思われますか。
今回、この本で「信じるこころ」の大切さ、「人を信じる気持ち」を基軸に書かせていただいたわけです。思いっきり宗教の話ではなく、むしろオブラートに包むごとく、一般の人たちの目線で話す、書くに徹しました。
それよりも、どんな宗教・宗派の方々、あるいは仮に宗教をお持ちでない方にも、お伝えしたいことがあったのです。
人間としての生き方の「基本」というもんは、普遍的なもんやないでしょうか。人間が成長し、幸福になるためには、何が必要なんや、といったことを、私なりにお伝えできていれば、と思います。だから、一般的でわかりやすい言い回しになっており、難しい言葉は使わないように意識しました。


東北大震災で多くの方々が犠牲になられました。その人たちを弔う気持ちとは、結局は、生き残られた方々が「元気に」再生されることに結び付いている、とお書きになられています。
このたびの東日本大震災や、その後の原発事故で被災された方々、お亡くなりになられた方々には、心からお悔やみ申し上げます。
でも、そういった方々にメッセージを伝えるやなんて、私には出来る資格なんかありません。ただ、皆様のお心に、少しでも近づきたいという思いはありました。
どんな状況や環境にあれ、人は前向きな生き方をしていけば、回りの人たちにも良い影響を与えていきます。ですから、たとえ「空威張り」といわれようとも、一歩でも二歩でも前へ突き進んでいただきたいものです。


福島原発事故により、原子力発電の怖さみたいなもの、放射能汚染の恐怖のようなものが連日、ニュースになっています。
いわば、日本列島全体を震撼させたとのだと思います。
いま、世界はそうしたダメージを受けた日本および日本人の再生復活に注目を集めています。
そんなときこそ、必要なものは「信じるこころ」「素直なこころ」「感謝のこころ」が大事なのでは。
原子力の専門家ではありませんので、いたずらに「怖さ」をあおることは避けたい。でも、「不安」は誰もがお持ちでしょう。ですから、政府や電力会社は、正直に国民に情報を解示しなければなりません。
そして、現時点では、どうしてもまだ原発に頼らねばならない社会になっているのですから、頭のいい人達に頼りながら、我々も協力して信じ、そして、ゆっくりでもいいから「相互信頼」の社会を作り上げていかなければなりません。このたびの災害では、世界中の国や人々からたくさんのご支援をいただきました。だからこそ、より一層、私たちの側から「信じる心」を発信していかなければならない。


過去の歴史を振り返ると、日本は未曾有の被害・犠牲があったと記されています。関西では、神戸淡路大震災がありました。神戸地区の再生や復活は、この10数年めざましいものがありました。
阪神大震災も大変でしたが、このたびの東北大震災では、あまりにも広大な面積の被災、そして原発の問題があります。農漁業の壊滅的な被害にどう取り組むのか。故郷から離れざるを得ない方々にどう希望を持っていただくのか。しかも、復興のためには、お金だけではなく、多大な時間と労力が必要になることでしょう。それに、知恵もです。
被災しなかった関西地方などの方々は、決して今なお、いやこれから十何年もかけて復興へと努力する方々のことを忘れてはいけません。むしろ、私たちは「自分の問題だ」と考え、日本国民一丸となって取り組み、政府も頑張っていただき、一人ひとりの力を全力投球していきたいものです。


今回の原稿で伝えたかったことのひとつに、「人間は弱くない」「強い絆をもって」「お互いが力を合わせれば」かならず、未来は開くと書かれています。
弱いもんは、力を集めて一致団結! 一人の力は一人前、二人よれば三人前、いわんや力を合わせば100人力! そんなに強い人間なんか、いてはりません。人間は、強くなっていくんです。
不振の渦巻く世の中やからこそ、「信じる」ということそのものが問われております。強い「絆」も、この「信じる」ということが根本になければ生まれないでしょうね。


住職のこれまでの生き方を振り返られて、失敗ばっかりやった、とお書きになっていますが、それは「取り返しが出来る」とも書かれています。
「過去」や「未来」への対し方を、仏教ではどのように説かれているのでしょうか。
「諦念」という言葉になるのでしょうか? その言葉は、私、大好きです。でもその意味は、決して物ごとをあきらめ、物ごとを「ホウリダス」ことではないということです。
私、「仏教と科学は矛盾せえへん」と書かせていただきましたが、仏教では「原因があって結果がある」ときちんとゆうてます。確かに今の自分の境遇や宿命などは、過去に原因がある。失敗もあった。それは全部、受け入れる。でも、未来の原因は、今、この現在に作ってるんや、ということです。


「信じること」、これがいちばん大切や、ともおっしゃっています。でも、この「不信」にあふれる世の中で、それでも「信じ続ける心を持つこと」はすごく大変だと思うのですが。
大変やからこそ尊いんです。だからこそ「信じること」を選んでいかなあきあせん。その後の果実は、きっと立派に実る。それを信じてほしい、と心から念じます。


住職の日常は、とてもお忙しいものだと思われますが、それでも一人ひとりとの「人」との関わりを大切にしたいと。実際に西栄寺で行われている行事も、その理念が貫かれているのでしょうね。
「多忙」という単語で人を避けてしまえば、それはもう、その時点で僧侶を「やめてしまえ!」です。
何時でも、何処でも、そして誰とでも、話しあいたい。私、それが好きなんです。そこに、大きな大きな、人と人との財産が生まれます。
先日も産経新聞に「『現代の駆け込み寺』目指す」というタイトルで取り上げていただきましたが、「お見合いパーティー」「カラオケ同好会」「囲碁クラブ」「空手教室」…。もう、人と人がふれあい、笑いが生まれ、元気になっていくことやったら、何でもしたいと思っています。


この本のタイトルは『死ぬまで生きたれ!』となっています。最後に、住職ご自身の「未来への希望」を語っていただけますでしょうか。
「死ぬまで生きたれ!」即ち「死ぬまで人との心のふれあいを大切にしたい」、ということです。「ふれあい」を大切にして、これからももっと作っていきたい、と思っておりますから、そら死ぬまで生きて生き抜くしかありしません。「一緒に、どないでっか!」と呼びかせさせていただいているのが、この本です。