松本のぼる(まつもと のぼる)
1950年7月生まれ
東京都出身
都立井草高等学校卒業後、電機会社社員、地方公務員の職を経て、東京YMCAデザイン研究所(専門学校)に入学。
卒業後はグラフィックデザイン会社に勤務し、その後独立。
60歳になってから介護職に転身する。
現在、介護福祉士としてデイケアに勤務。


松本さんの自己紹介を。
デザイナー歴が長いので業界系の人?なんて思われるが、実際は相当違います。職歴に関連性がないねとよく言われます。思い込むと突っ走る、あるいは成り行きに翻弄される人間なんでしょうか。まあ、後者のタイプかもしれませんね。小説を描き始めたのも自発的というより人からおだてられ、褒められて調子に乗ってしまったのが、きっかけでした。


グラフィックデザイナーのお仕事をされていましたが、記憶に残るお仕事を聞かせてください。
誰もが知っているような有名作品はありません。誇れるところがあるとしたら59歳まで現役でやっていたという事実でしょうか。デザインというのは、有名無名、資金の有無に関わらず、いいものは、必ずどこかで評価される平等性に価値があると思っていました。職業としてのデザイナーは辞めていますが、生活の中にデザインがあるのですから、デザイナーとしての視点は、いつまでも持ち続けていたい、と思っています。でもまあ、そんなに偉そうに言えるほどの実績はありませんが、自分のデザインしたものがわずかでも世の中に残っていることに誇りを感じます。


富樫との出会いで、記憶にあることを。
ブログで小説を連載し始めて1年半たった頃です。2007年6月22日のことでした。富樫さんからコメントをいただきました。しっかりとした文章であること、全編をワードで読みたい、という趣旨でした。出版社の方から褒められ、有頂天になって舞い上がりましたね。そのときは連載38回目で、1年近くかかって書いていたのですが、最終話の50回目までを1ヶ月で書き上げてしまいました。モチベーションというのはすごいものです。紆余曲折の10年間に、富樫さんはポツリ、ポツリとメールを送ってくれました。「どうしていますか?小説書いていますか?」とか「死者のパートナーをリトルガリヴァー社のサイトに連載したいけどどうですか?」「読者アンケートでベスト5に入りましたよ」といった嬉しいご連絡もいただきました。そんなありがたいメールをもらいながら、私はデザイン業を廃業した後の慣れない仕事に悪戦苦闘し、小説を書く余裕がなかったんです。
そして昨年、「翰林の会」へ入りませんかとお誘いを受け、入会審査のための短編を書き、無事入会することができました。またもや富樫さんの策略?に乗った私は、仕事と小説の両立に悩みながら、夜な夜なパソコンに向かって文字を打ち続けている現在です。


こちらもずっと「死者のパートナー」が気になっていて、それが縁で電子版と紙図書を刊行することになりました。
松本さんには、どんな目標をお待ちですか。
自分が書きたいと思っているテーマはいくつかあります。初期の作品「死者のパートナー」は完結していない物語です。その続編を書き始めています。長編を書いていると、短編を書きたくなるという悪い癖もあり難航していますが、なんとか完成したいと言うのが短期の目標でしょうか。独自の短編集を出したいというのもあります。長期の目標としては、太平洋戦争中に陸軍の宣伝活動に従事したデザイナーの生き様を小説にしたいと思っています。


「翰林(かんりん)の会」のメンバーとして参加されましたが、いかがでしょうか。
会の印象や、個別の会員の印象。ここでの自分の役割というか、どんな作品を発表していきたいですか。
富樫さんを始め、会員の方とお会いしたのは昨年の例会が初めてで、遠方ということもあり、まだ1回だけの参加ですが、刺激的で楽しい時間を過ごすことができました。
山上さんは静かな佇まいの中に、内に秘めたものをとても感じました。山陰さんは洒脱で親近感のある方でした。しかしながら、新参者がおどおどしながらの初印象です。まったく的外れかもしれません。